部活に打ち込む理由・数学を学習する理由

突然ですが質問です。

もし、塾の先生や周りにいる大人の誰かが、“部活命”みたいな中学生のあなたにむかって、「どうしてそんなに部活にどっぷり浸って、頑張ってるの。

プロになるわけでも、なれるわけでもないのに」って言われたら、何て答えます。

「プロになれるんじゃなきゃ、そこまで頑張る意味ないよ」。と言わんばかりに。

むろん、質問された生徒は反発する。

「別にプロになれる、なりたいって思ったりしてるわけじゃない」。

「野球が好きだし、やりたいだけ。試合に勝ったら、嬉しいし」。

「体力もつくし、友達もできる」等々。

自分も中・高と運動部でやってきただけに、生徒達の反論はよくわかります。

本題はこれから

プロになれる、なれないで反論する生徒が、別の場面では、さっきと全く逆の主張を展開していることがあるのです。

例えば、数学の勉強イヤさに、「関数や図形の証明なんて将来、いっさい使わない」という主張。

先ほどの反論と同じ論理で言えば、“将来の生活の中で直接的に使うことのなさそうな知識は、学ぶ必要がないと言えるのか”っていう話しです。

そんなことないんです

例えば、今は“夏のバーゲン”シーズン。

チョットおしゃれな服を買いに行ったA君。

「定価15,000円 30%OFF」。ん、これって幾らになる??? 「よくワカラン」、「でもいいか、とりあえず、定価より安いのは間違いないんだから」でレジへGO!

でも、これって所持金に余裕があるとき。

ぎりぎり足りるかなってことになると、泣く泣く諦めることになったりして。

例えばA君。大人になってめでたく結婚して子供も生まれた。そこで、マンションを買う買わないの話しが。そのとき、持ち家と賃貸住宅。

どちらが数字的に合理的な選択になるか。

生活していく上で、あれを取るかこれを取るか。

私たちは日々、選択の連続です。まして今のデジタル社会は変化の連続。

そうしたなかで仕事はもちろん、普段の生活でも数字に弱いのは、かなり致命的です。

将来、関数の知識や連立方程式の計算を日常生活で使うことは、ほとんどないでしょう。

だったら、やる必要がないのかと言えば、そうではないというのは、部活動に打ち込む理由と本質的には同じです。

とはいえ、勉強にヤル気がなく、やらない理由を日々探している生徒達に、こんな話しても聞く耳を持たないのは、わかります。

だから、これを読んですぐ考え方をかえて、直ちに勉強に取り組んで欲しいというわけじゃありません。

ただ、今日お話したことは、紛れもない事実です。

近い将来、それを実感できるよう、少しずつでも歩みを進めてもらいたいなと思います。

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