入試対策において過去問分析は“必須”
こう言われると、確かに分かってはいるけど、“何をどうしたらいいかわからんねんなぁ”という方も多いのではないでしょうか。
過去問とは文字通り“過去に出題された入試問題を年度順に収録した問題集”です。
言ってしまえば、二度と出題される可能性のない問題ばかりを集めているわけですし、次の年にはガラッと傾向が変わっているかもしれません。
要するに過去問は、未来の試験内容を“保障”してくれるものではないということです。
それでは、過去問とは何のためにあるのか。

西宮市の地で学習塾の立場から、新型コロナウィルスの感染拡大防止が叫ばれる非常時に、平常時へ戻ったときに必要になる備えを真剣に考える塾長のブログ。
こう言われると、確かに分かってはいるけど、“何をどうしたらいいかわからんねんなぁ”という方も多いのではないでしょうか。
過去問とは文字通り“過去に出題された入試問題を年度順に収録した問題集”です。
言ってしまえば、二度と出題される可能性のない問題ばかりを集めているわけですし、次の年にはガラッと傾向が変わっているかもしれません。
要するに過去問は、未来の試験内容を“保障”してくれるものではないということです。
それでは、過去問とは何のためにあるのか。
昨日のブログ記事を受けて、生徒からよくある質問への私の応えの一例を挙げてみます。
歴史嫌いの生徒がよく言う”昔の出来事なんかに興味ない”という決まり文句を聞くたび、思うことがあります。
生徒にすれば、興味を持てない昔の出来事を、なぜ勉強しなきゃいけないんですか。って言いたいのでしょう。
その問いかけへ、私の応えは次のようなものです。
これはスポーツに置き換えると”終わった試合のことなんか興味ない”と言ってるようなもの。
それって大丈夫かぁ!という感じ。
スポーツもレベルが高くなればなるほど、過去の映像を何度も見ながら、分析を繰り返します。
こんな話をすると、”スポーツは勝つために過去の試合の分析が必要なのはワカル”。
でも”それと歴史の勉強は関係ない”という人が多いと思う。
ところが違うんです!。
歴史や古文のように、苦手な生徒にとってはとっつきにくい教科を勉強する時、”漫画みたいなモノから気軽に始めるといい”とよく言われます。
ただ、漫画だったら誰にとっても分かりやすいと言えるかは疑問です。
ある程度の知識があれば、読んで分かりやすいと感じるでしょう。
一方、苦手な人や嫌いな人が、あまり知識のないまま読んで分かりやすいと感じるとは思いにくいです。
これは、漫画であればどんなアニメでも面白いと感じるわけではなく、人それぞれの好みが出るのと同じです。
漫画だから”分かりやすい”というわけではありません。
物事に当たるとき、目標を決めることが大切と言われます。
目標がハッキリと定まっていれば“ヤル気”になりやすいし、“モチベーションも維持しやすいと。
たしかにその通り。
ただ、人間というのは弱いもの。
たとえハッキリとした目標があったとしても、時にそれを見失うことがあります。
例えば、自分では努力しているつもりなのに、成果が思うように出ないとき。
そんな時には、急激に“ヤル気”がそがれるかもしれません。
やっぱり“むりかもなぁ”という気持ちが、邪魔するときがあるかもしれません。
そんな時です!
今年、新型コロナウィルスの感染が拡大するなか、教育業界でスポットライトを浴びたのが“オンライン授業”。
これまでも対面授業ではない映像を使った授業の導入を行っているトコロはありましたが、これほど映像で授業が受けられることを有り難いと感じることはなかったと思います。
対面授業が行えない状況下でも、歩みを止めずに済む技術がある。
これは素晴らしいこと。
しかし、今の時代ならではと言えるこの恩恵を、恩恵としてのみ受け取れない風潮が悲しいところ。
やはり“オンラインvsオフライン”という対立構造が出て来てしまいました。
そこで今回、対面授業も再開された今、この“オンラインvsオフライン”という構図に対する私の考えを、お話したいと思います。
学校再開から早2ヶ月。
当初あるかどうかも分からなかった夏休み。
これも例年に比べて大幅に短縮されたとはいえ、何とか確保。
今日8月6日現在、生徒達もしばしの休暇期間に入っていると思います。
この2ヶ月間、休校期間中のなまった頭と体を元に戻すには生徒達にとってハードで厳しいものだったかもしれません。
そこにやっときた夏休みもわずか2週間。
“夏休みがあっただけマシ”とは言え、生徒達には不満やストレスが貯まってきているかも。
しんどい日々もやり過ごしてしまえば、なんとかなるとも言えないのが学生のつらいところ。
こんな状況下でも、試験ごとからは、逃れられません。
“なぜ勉強するのか”。
今も昔も子供たちにとって永遠とも言えるテーマです。
誰もが一度は疑問に思うこと。
周りの大人に聞いてみたり、あるいは大人になって子供に聞かれたり。
とにかく人生のなかで一度はこの疑問に当たっているという方が、ほとんどではないでしょうか。
ここで注意です!
子供にそのことを質問されて、“俺もワカラン”なんて答えようものなら以降、勉強の話に関するかぎり、一切の説得力を失ってしまうでしょう。
かといって、どこかで聞いたようなキレイゴトを並べてみても、子供たちの耳には届きません。
そこでどうする! というのが今回のテーマです。
目にした方には、いったい“なんのこっちゃ”というタイトルです。
実はコレって、はじめて分数を目にした子供たちには、こんな風に感じているんじゃないかって、私の勝手な想像です。
子供たちがはじめて分数を目にするのは、小学2年生。
“なんじゃ こりゃ”の衝撃と共に、タイトルのようなイメージを持つ子がいても不思議はありません。
子供たちの想像力ってホント、凄いモノがあるんですから。
そこから考えると、大人にとっては当たり前で簡単に思える内容であればあるほど、子供たちの見え方や感じ方との間に、大きなギャップがある。
“子供と同じ目線になって”と言われたりしますが実はコレ、とても難しいことなんです。
例えば泳げる人が泳げない人と同じ目線に立つことが、簡単ではないのと同じです。
人は自分が当たり前に出来ることであればあるほど、出来ない人と“同じ目線に立つ”なんてことが、文字どおり出来ないものなんです。
“今回のテストは選択問題がほとんどだぞ!”って先生が言ったとしたら。
その時に”選択問題(4つの中から記号を選ぶような問題)がほとんど”と聞いた生徒はどんな印象を持つだろうか。
選択問題なら選択肢の数に違いはあっても、必ずその中に答えがある。
そう考えると”ラク”と思う生徒は多いのではないでしょうか。
それに比べて、記述問題(この場合、単語や用語を一つ書かせるだけといったものを含む)はどうでしょうか。
答えが分からなかったら1発でアウト。
そう考えると選択問題に比べると“ムズカシイ”というような気がしていませんか。
実はその印象、“逆”なんです。
“言い訳”。日本人にとって、プラスよりマイナスイメージの強い言葉です。
結果が良くなかったときや失敗してしまったとき、口を開こうにも”言い訳するな”っていう空気になることありませんか?
日本人は、出た結果に対して後から”言い訳しない”のが、あたかも美徳であるかのように感じている人が多いように思います。
その証拠に、他人に対して一度くらいは”言い訳するな”と口にしないまでも心の中なかで思ったことのある人が、ほとんどではないかと思います。
しかし!です。