正解は一つではない
国語という教科には、こんな印象を持っていませんか。
というのも、学校の授業で“本文の読み取り方は人それぞれ”と教わることが多い。
つまり、解釈の仕方は十人十色で良いと言うこと。
でも、それがテストになるとどうでしょう。
基本的に正解は一つであることがほとんどです。
ここがポイント!。
授業では“正解は一つではない”ことを教わるのに、テストでの正解は一つ。
ここに、国語という教科における大きな“矛盾点”があります。
今回は、そんな“国語”という教科の特徴についてお話します。
そもそもの話
入試や普段の試験で使われる文章というのは、それ用に書かれているわけではありません。
そのため、著者は自分の作品が試験問題になることを想定して書いているわけじゃなく、本来であれば色々な解釈が許されるはずの作品です。
それを作問者が試験問題として採用し、そこに問題を作っている。
ということは!です
作問者側の立場に立てば、本当に色々な解釈が可能な部分を問題にするわけがなく、確実に“コレが正解”と言い切れる問題を作れる箇所で、作問を試みるはずです。
そう考えると
国語の問題を解くという行為は、著者の作品に込めた“メッセージ”を読み解くのではなく、作品を借りて作った“作問者からのメッセージ”に答える行為”と言えます。
ここに突破口が
“正解が一つではない”場合、ある程度“独創的な物の見方や考え方”許されます。
前後の流れなどから、色々なことを想像することも出来ます。
これが“正解が一つ”の場合は、そうはいきません。
自分の考えや想いを差し挟むことは出来ません。
でも、そこがポイント!。
だからこそ、客観的に本文に書いてあることからのみ思考することを、意識すればいいのです。
結論
授業で“求められる事”と“教わる事”。
そしてテストで“求められる力”。
両者が大きく異なるのが、国語という教科の大きな特徴です。
でも、それが分かってしまえば、後は対策するだけです。
以前のブログ記事
でも書きましたが、国語のテストの読解問題は、いかに“客観的に読めるか”が勝負の分かれ目です。
それを意識して、普段からトレーニングすることを心がけましょう。