“疑う”ことの大切さ

“疑う”

あまり聞こえの良い言葉ではないかもしれません。

とは言え、こと勉強に関する限り“疑う”というのは、決して悪いことではありません。

何となく流してしまいそうなことでも“なぜだろう”、あるいは“本当かな?”と立ち止まって考えることで、さらに深い理解につながることが多々あります。

今回、そんな“疑う”ことから得られることについて、お話します。

疑う=???

例えば、算数の授業で“三角形の内角の和は180度になる”ということを教わったとします。

中学生以上の方であれば、誰でも一度は耳にしたことのある知識でしょう。

この時です!

“本当にどんな三角形でもそうなのか”という“疑い”と同時に“なぜ、そうなるのだろう”という疑問を抱けるかどうか。

つまり、“疑う”ということは、言い方を変えれば“疑問を持つ”ということです。

疑問を持つことが、“気づき”につながる

そして次に、一度持った疑問は実際に調べてみる。

今回の例でいえば“なぜ、三角形の内角の和は180度になるのか”とネット検索してみます。

すると小学生向けのものから中学生向けのものまで、イラストを使った“わかりやすい説明”がいくつかでてきます。

そうすることで、一つの知識に対して、色々な考え方があることに“気づく”のです。

この一連の流れから、何を学び取るか

今の時代、分からないことがあっても、ネットで検索すれば大抵のことは解決出来ます。

ただ、それは誰にとっても言えることです。

それだけでは“差がつきません”。

では、“どこで差をつけるのか”。

今回で言えば、“三角形の内角の和は180度である”という理由を説明するのに、“いくつか方法がある”という点に着目します。

ここから分かるのは、算数や数学に出てくる定理を説明する時、その方法は“一つではない”ということ。

そして、身につけた定理を使って問題を解くとき、その解き方も“一つではない”ということを知ることができます。

“算数や数学において、解法は一つではない”

なんと当たり前のことを言うのだろうと思われる方もいるかもしれません。

でも、言葉でそれを認識しているのと、肌でそれを実感しているのとでは、実際に問題を解くうえで、大きな差になって現われるのです。

結論

“疑うことで疑問を持ち、その疑問を解決するために実際に調べてみる”。

今回、お話したように、これがとても大切なことは事実ですが、時間に限りのある学生にとっては、“何でもかんでも”という訳にはいきません。

学年や目的を無視したような“必要以上の深掘り”は、本末転倒になりかねないからです。

そうならない為に意識してもらいたいことが、“自分で調べる”ということ。

そうすることで、一度に複数の内容を確認することが出来、そのうえで“自分で考える力”も養われます。

知識だけではなく、そこから“何を学び取ることが出来るか”

そんなことまで出来るようになると、学力にもグッと厚みが出てくるはずです!

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