“勉強なんてやる意味があるのか”
子供の頃、誰しも一度は抱いたことのある疑問ではないでしょうか。
そこから大人になり、自身も子供を持つ立場になった時、子供から同じ疑問をぶつけられることになります。
そんな時、なんと答えるでしょうか?
意味があることは、経験上でなんとなく分かってはいる。
けど、それを子供が納得出来る形で言葉にすることが出来ない。
今回は、そんな方に向けたお話です。
“意味”は人によって変わる
ある行動や取り組みが、意味のあるものかどうか。
その感じ方は、人によって変わるものです。
年齢、性別、立場、育ってきた環境、などなど。
私たちは、それぞれ異なった人格として、日々の生活を営んでいます。
同じ景色を見て、綺麗と思う人もいれば、そうは思わない人もいる。
同じものを食べても、反応は人それぞれ。
これと同様に、物事に対する“意味の感じ方”というのも、人それぞれによって異なります。
では、“意味がない”と感じることはしなくてもいいのか。
そうではありません。
意味があったかの判断は“もっと後”
例えば、プロの選手を目指すわけでもない部活動を、熱心に頑張ることに“どれほどの意味があるのか”。
そう聞かれれば、色々と答えは出てくるでしょう。
ですが、その答えのすべてが正しいかどうか、今すぐ判断出来るでしょうか。
おそらく、無理だと思います。
結局のところ、そこで出た答えというのは、“そうであってほしい”という願望であって、本当にそうなるかは誰にも分かりません。
“上下関係が学べる”と思っていたが、所詮は1つ2つ年が違うだけの子供どうし、社会に出た時に活かせるほどの学びではないかもしれません。
“忍耐力が培われる”と思っていたが、結局は一日数時間、好きなことをやっているだけの時間に過ぎなかったと思う日が来るかもしれません。
つまり、その後の人生に意味があるかどうかというのは、その場では分からないということです。
“過程”が意味を変える
では、どうすればいいのか。
その答えの一つとして、“過程”にこだわる意識を持ってください。
意味があるかどうかではなく、後に“意味があったと思えるには、今、どうすべきなのか”
それを考えてみてください。
これは全ての物事に言えることだと思いますが、万人が納得出来る“意味”などありません。
だからこそ、“意味があると思えることだけやろう”などという甘い姿勢を捨てることが、最初の一歩になります。
結論
意味があると思えるから“やる”のではなく、意味を求めて“やる”。
勉強のように、大半の人がやりたくないと感じることをやる時ほど、その姿勢が大切なのかもしれません。