子供のやらない”言い訳”に対する大人側の”応え”

漫画みたいなものから始めると

歴史や古文のように、苦手な生徒にとってはとっつきにくい教科を勉強する時、”漫画みたいなモノから気軽に始めるといい”とよく言われます。

ただ、漫画だったら誰にとっても分かりやすいと言えるかは疑問です。

ある程度の知識があれば、読んで分かりやすいと感じるでしょう。

一方、苦手な人や嫌いな人が、あまり知識のないまま読んで分かりやすいと感じるとは思いにくいです。

これは、漫画であればどんなアニメでも面白いと感じるわけではなく、人それぞれの好みが出るのと同じです。

漫画だから”分かりやすい”というわけではありません。

やはり歴史や古文が苦手な人や嫌いな人からすれば、漫画であったとしても“とっつきの悪さが変わるわけじゃない”個人的には思います。

結局のところ、興味がなくても面白くなくても、取りあえず“やるしかやれるようにはなれない”のです。これはどうしようもないことです。

ですがそんな時

“なぜやらなくちゃいけないのか”。

“こんなものが人生のいつ活きるのか”。

生徒達は常にこんなことを思っています。

そこで今回、そんな生徒達のやらないことの”言い訳”に、どう”対応”すべきかについて考えてみたいと思います。

生徒になったつもりで

自分が生徒になったつもりで考えてみてください。

“なぜ、こんなものを勉強しなければいけないのか”。

そう思ったときです。

周りの大人からすれば、”そんなこと言ってる暇があったら、さっさとやってしまった方が良い”と思ってしまうようなこと。

ですが、生徒には、これが大きな”引っかかり”になっているのです。

それだけに生徒から”なぜ、こんなことを勉強しなければいけないのか”と問われたときの”応え”は意外なくらいに重要だと考えています。

例えば生徒に聞かれたとき。

“やらないといけない訳だし、みんなやってるんだから。とか、”やりたくない教科の勉強も”修行と思ってやるしかない”。

こんな風に応えたとしたら。

おそらく生徒には、”この先生も大して自分の考えを持っていないんだなぁ”とか。

“自分でも大してやる意味を見いだせていないのに、生徒には口うるさく言ってるんだなぁ”とか。

そんな風に見透かされてしまいます。

生徒達は思った以上にこういった部分に対して正直です。

ここで自分なりの”考え”を持っていて、それが生徒も納得せざるを得ないモノだったらどうなるか。

それでも話を聞いた生徒の態度が急に変わって、”ヤル気”を出してくれるというわけにはいかないかもしれない。

ですが”この先生は自分の考えを持っている人”となるのか、それとも”自分も大して分かっていないのに、人にはやれと言う先生”になるのか。

この差はとても大きいものです。

こういった差が根っこの部分でその先生に対する信頼の差につながり、それが最終的に生徒の”取り組み”に影響してくると思うからです。

しかし言うだけなら簡単

そこで明日のブログ記事では、生徒達からよくある質問に対する私の”応え”について、一部を紹介させていただきます。

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