時間が足りない
英語の試験問題を解いているとき、こんな風に思ったことはありませんか。
問題数や文章量が“メチャクチャに多い”と。
そうなんです。近年、英語読解問題の文章量はますます増える傾向にあります。
それだけに、かなりの処理スピードが要求されている。
そうなると当然のこととして“対策を”という流れになりますが、ここで要注意です。
下手な対策の仕方は、かえって状況を悪化させるだけになりかねないのです。
西宮市の地で学習塾の立場から、新型コロナウィルスの感染拡大防止が叫ばれる非常時に、平常時へ戻ったときに必要になる備えを真剣に考える塾長のブログ。
英語の試験問題を解いているとき、こんな風に思ったことはありませんか。
問題数や文章量が“メチャクチャに多い”と。
そうなんです。近年、英語読解問題の文章量はますます増える傾向にあります。
それだけに、かなりの処理スピードが要求されている。
そうなると当然のこととして“対策を”という流れになりますが、ここで要注意です。
下手な対策の仕方は、かえって状況を悪化させるだけになりかねないのです。
英語の長文を読んでいるとき。
国語の現代文を読んでいるとき。
日本史の暗記をしているとき。
どんな教科の勉強をしているときでも、意味がよく分からない単語や語句が一定数、出てくると思います。
そんなとき、たいていの場合は“意味をその場で調べなさい”と指導されることが多いようです。
たしかに、自分で辞書や参考書を使って調べるという作業も大切です。
何でもかでもすぐに人に聞く癖をつけるのは良くないというのも分かります。
ですが、仮に意味の分からない単語や語句が20も30もあるなんて場合はどうでしょう。
その場合、意味調べだけで気づけば1時間以上も経っていたなんてことにもなりかねません。
そうなると出てくるのが、「意味調べ=勉強」という“良くない”状態です。
本人は頑張っているつもり。
けれど意味調べが勉強時間にカウントされている間は、この努力が結果に結びつくことはありません。
そこで“ならば、どうする”というのが今回のお話です。
“いつも一緒に遊んでるのに、何で○○はいつも良い点数がとれるんやろ”。
“いつ勉強してるんやろ”
テストの返却時、こんな風に思ったことのある生徒さんは、以外と多かったりすると思います。
自分たちが遊んでる時に、必死に勉強してた生徒なら分かる。
でも、同じように“遊びほうけていた”はずなのに、結果が悪かったのは自分だけ。
こんなことって案外よくあることです。
でも両生徒の間にある“違い”が分からなければ、結果の悪かった方の生徒は、この先も状況が変わりません。
そこで今回、その“違い”についてお話します。
前回の記事に引き続き、今回は文学的文章についてです。
簡単に言えば小説のような“物語文”のことで、論理的文章に比べて“読みやすい”という印象を持つ生徒が多いように思います。
しかし、そこが“落とし穴”。
読みやすい文章だからと言って、簡単というわけではありません。
現に文学的文章の得点が安定せず、悩んでいる生徒も多い。
そんな状況から1つの疑問が生まれます。
文学的文章は、“読みやすい”という印象の割には、なぜ得点が安定しないのか。
国語が嫌いな生徒の中でも特に苦手意識を持つ生徒が多い“論理的文章”。
小学生の間は説明文が多いですが、中学生ともなると論理的文章の多くは“論説文”であることが多いです。
そこで今回、“論説文”の読解にあたって“意識すること”を紹介させていただきます。
突然ですが、国語の文章の種類について、どれくらい知っていますか。
例えば、“論説文と説明文と随筆文の違いは?”と聞かれて、答えられますか。
入試では“小説系の文”と“小難しい系”の文の2種類が出題されていることは知っている。
でも、さらに細かい分類については知らないし、“知る必要もない”と考えている方が多いのではないでしょうか。
ところがです!
文の種類を知っているかどうかは意外に大きい。
文を読むときの“基本姿勢”や“着眼点”にそのまま直結してきます。
そのため、決して無意味な知識というわけではないのです。
そこで今回、正しく文を読むための基礎知識として“文の種類”についてお話します。
この言葉を聞いて、どのような姿をイメージしますか?
良く聞くのが“外国人と自然に会話が出来る人”みたいな返答。
“使える英語”と言われると、多くの人が“会話ができるかどうか”を基準に考えるのではないでしょうか。
中学、高校で通算6年間も勉強して、“まったく話せるようにならない”。
そんな過去の学習成果に対するコンプレックスからか、日本人は英語を“話す”ということに特別なこだわりを見せます。
“英語を読める”という人がいたとしても、でも“話せないならなぁ”なんてことを無意識に思ったりしたことはありませんか。
“読む”ことより“話す”ことのほうが、ワンランク上の能力であるかのようなこの“風潮”。
それくらい日本人は英語を“話せる”ことに価値を感じています。
ところがです!
つかの間の“夏休み”。
たった2週間とは言え、この期間で生活リズムが乱れてしまった生徒も、少なくないと思います。
いつもより少し遅くまで起きていて、“夜更かし”。
そんなちょっとしたことの積み重ねが意外に大きい。
学校の再開後、乱れたリズムを修正するのはなかなか大変です。
夏休み期間であっても、出来るだけ本来の生活リズムを維持できるよう心がける必要があります。
しかし、今回の話は、そういった明らかにマイナスと分かる“夜更かし”についてではありません。
一見すると“頑張っている”ように見える“夜更かし”につて。
それも“マズイ”というのが今回のお話です。
コロナウィルスの感染流行からまもなく半年経過。
その期間のうち半分にあたる3ヶ月間、学校教育が停止するという異例の事態に見舞われた今年の教育現場。
受験生を抱える保護者の方々にとって不安の多い1年になっていると思います。
3ヶ月という決して短くはない休校期間中の“遅れ”。
これに対応するべく文部科学省から各自治体へ、来年度入試を実施するにあたってこのような状況を“配慮するように”との通達が出されました。
これを受けてこれまでに、都道府県独自の決定が発表されてきたところです。
我が兵庫県も7月に発表され、一般入試については例年通りの出題範囲で実施することが決定されています。
でも、この決定を聞いたからと言って安心している訳にはいかないのが今年の状況。
成績の悪い生徒は勉強に対してヤル気がない。
ヤル気がないから心身共にダラッとしていて、姿勢も悪い。
そんな感じの取り組み方だから、いつまでたっても成績が悪い。
そんなイメージありませんか。
実はコレ“逆”なんです。
成績が悪くてヤル気になれないから、ダラッとして姿勢が悪いんじゃない。
姿勢が悪い状態で取組んでいるから、結果としてそれが成績にも影響しているんです。
そこで今回、“姿勢”と“成績”の相関関係(注1)について考えていきます。
(注1)一方が変化すれば他方も変化するような関係