源頼朝は“なぜ鎌倉に幕府を開いたのか”(地理・歴史の学習シリーズ③)

シリーズの3回目となる今回からは、地理と歴史について週替わりで書いていこうと思います。

今週は“歴史”です。

歴史については、“学習する意味が見出せる記事”を意識していきます。

具体的に言うと、歴史上の出来事から、生きていく上での“教訓となるエッセンス”をいかに抽出するか。

それを考えたブログを書くことで、将来“役に立つか”ではなく、“いかにして役立たせるのか”の具体例として見ていただけたらと思います。

では、今回の内容はコレ!

“源頼朝は、なぜ鎌倉に幕府を開いたのか”。

ここから、教訓となるエッセンスを抽出していきたいと思います。

知識自体は役に立たない

“良い国(1192年)つくろう鎌倉幕府”(最近では1185年と改められましたが)。

昔から使い慣らされた語呂合わせです。

皆さんも一度は耳にしたことが有るのではないでしょうか。

ですが、この知識を覚えたことが将来に“役立つかどうか”と聞かれれば、ほとんど使える場面はないでしょう。

問題は一つ一つに知識を“いかにして役立つものに自分で変えていけるか”です。

そのためには、まず“疑問をもつこと”が大切になります。

疑問の持ち方によって、知識の深まり方が変わる

今回の場合であれば、“どこに疑問を持つか”

私なら、“なぜ鎌倉に幕府を開いたのか”という部分が気になります。

そこで、その理由を調べてみると、いくつかの説を目にすることになります。

(理由)

①敵が攻めにくい地形。

②東海道に近いことは、交流にとって主要な場所だった。

③関東の武士の想いを汲んだ。

④朝廷のある京都から離れることが目的だった。

以上が主に理由として挙げられている説です。

ただし、これらを覚えるなんてことにあまり意味はありません。

ここから“何を学び取るか”

例えば①番から。

鎌倉は北・東・西の三方を山・丘に囲まれており、南には相模湾が広がっている地形でした。

つまり、守りやすく攻めにくい地形であったと言えます。

さらに、この場所は元々源頼朝の先祖の土地であったことから、“縁のある土地”でした。

これらのことから、“地の利”を存分に活かせる場所だったと言うことができます。

同様に②番も、この“地の利”に含まれるところがあると考えられるでしょう。

また、③番のように他の武士の“想い”も意識していたそうです。

武士たちは当時、“朝廷の干渉を受けたくない”と強く想っていました。

その想いを頼朝が汲むことで、武士たちの支持を集めていったようです。

これらを総合すると、何かを始めるとき、“場所と周りの人への配慮”が極めて重要であることが分かります。

結論

自営業であっても、勤め人であっても、相手関係を無視できる仕事などありません。

そう考えると、“いつ”“どこで”“何をするのか”は、非常に大切な事。

これは、“いつの時代も変わりません”

今回の“鎌倉幕府成立の知識”から得られる“教訓”は、何をするにしても、いかにして“地の利を得るか”

そして、何かを始める時の“周りの人への配慮の仕方”

これを“意識出来るか”だと思っています。

当然ですが、“鎌倉幕府の成立”以外にも、歴史上で何かが始まった時には、“それなりの考えや理由があるはず”です。

その視点から歴史を学習することが出来れば、得た知識を“将来に役立たせる力”が身に付いてくるはずです。

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