“謙遜”の意味を考える

スポーツでも勉強でも、努力して良い結果を出した時、“努力した分、これくらいは当たり前”と豪語する人と、“今回は良かったけど、自分の実力はまだまだ”と謙遜する人。

なんとなく日本では前者の方が人から嫌われるような気がしますよね。

自信満々に豪語する人よりも、謙虚な対応をする人の方が、好感を持たれる感じがします。

そのせいか日本人は、よく“謙遜”をする。

そうすることで、“調子に乗っている”と思われることは、無くなるかもしれません。

ですが、果たしてその“謙遜”に意味はあるのか。

今回は、このことについて考えていきたいと思います。

意味のある“謙遜”

まず、意味のある謙遜とはどんなものか。

これは、一言で言うと“自分の為”にするものです。

すべてを一つの過程と考えて自己分析をし、次に向けて課題を見つけていく

そのためには、常に“冷静である必要があります”

天狗にならないように、自分を戒めるにあたって“謙遜する”

これは目的が明確で、意味のある謙遜と考えることができます。

意味のない“謙遜”

では、逆に意味のない謙遜とはどんなものか。

これは、“思ってもないことをわざわざ言う”場合です。

要するに“ウソ”

例えば、テスト返却時の場面から。

結果が良かったとき、本当はものすごく努力したのに、“大して勉強してなかったけど、今回はたまたま運が良かった”なんて言っていませんか。

これは、明らかに意味のない謙遜。

本心では、そんなこと思っていないからです。

自分では努力したことも、それが良い結果に結び付く要因になったことも分かっています。

それを“調子に乗っている”と思われたくない。

あるいは、“努力している”と思われたくないがために、“運が良かった”などと思ってもないことを口にする。

このような“自分の為にならないウソ”が、意味のない謙遜です。

どちらがプラスになるのかを考える

ただ、別に努力を“ひけらかせ”と言っているわけではありません。

単に“意味のない行為や発言”は、避けるべきというだけのことです。

ちょっとしたことですが、こんな小さな事でも“どちらが自分にとってプラスになるのかを考える”

その癖をつける必要があります。

結論

“豪語”とまでいかなくても、努力した分、“自信を持った発言”は許されるはず。

ですが、なかなか“思い切った発言が出来ない”いう方も多いかも知れません。

ただ、そんな方であっても、“意味のない謙遜”を止めることは出来ます。

“何が自分にとってプラスになるのか”

まずは、これを意識することから始めてみてください。

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