比較の“奥深さ”(英文法シリーズ⑩)

シリーズ10回目となる今回は、“比較”という文法についてです。

“比較”自体の理解は中学レベルに関する限り、“そこまで難しいものではありません”

ただ、この言い方からも分かる通り、高校レベルでは“それなりに厄介な文法”へと様変わりします。

この“それなりに厄介”を厄介と思わない為には、どうすればいいのか。

それはズバリ、中学レベルの段階での“学び方”にあります。

そこで今回も“表現法を増やす”という考え方を軸にして、その“学び方”について考えていきたいと思います。

“知識”としてだけで止まる“学び方”

比較だけに限った話ではありませんが、日本語の表現に頼った物の考え方は、英語の表現力を

下げることにつながります。

例えば、“~より~だ=比較”、“~の中で一番~だ=最上級”のように、目に飛び込んでくる“いくつかの日本語”だけで文の内容を把握しようとしてしまうやり方です。

“英語が使える”ようになることを目指すのであれば、これではマズイ。

“比較”の学習を通して、その間違いに気付くことが出来ます。

どういうことか、具体的にお話しましょう。

こんな文に出会ったら

“東京は日本で最も大きな都市です”。

こんな文があったとします。

これを“英文にしなさい”と言われたら、どのような文をイメージするでしょうか。

おそらく大部分の人が“最上級を使った文”を真っ先に考えるでしょう。

そして“Tokyo is the largest city in Japan.”

という文を書くはずです。

もちろん、これはこれで間違いではありません。

しかし、以下のような表現の仕方もあります。

・Tokyo is larger than any other city in Japan.

(東京は日本の他のどの都市よりも大きい)

・No other city in Japan is larger than Tokyo.

(東京より大きな都市は日本にはありません)

“最上級”は一切使われていませんが、結局のところ、“東京が日本で最も大きな都市”ということを表現していることに変わりありませんよね。

つまり、上記のような書き方をしても、“内容は変わらない”ということです。

習熟具合に大きな差が

ただ、このようなことは、塾であれ学校であれ、誰の授業であっても必ず説明されるような内容です。

問題は、この学習を通して“何を学び取るのか”ということ。

今回の例のように、日本語の表現に縛られた状態で思考するのか、それとも柔軟な思考で、日本語を英訳しやすい形に変換できるのか。

今後、日本語から英語に直す(和文英訳)作業で差が生まれます。

結論

“表現法を増やす”という考え方は、文法を自然な形で学べるというだけでなく、“表現力を鍛える”ことにもつながります。

“英語で英語の授業をする”という考え方が主流になりつつある昨今(来年度から中学校では完全にそうなります)ですが、それを意味のある形で実現するには、教師と生徒の両者に“かなりの力が求められます”

それを考えると、まずは目の前の文法学習のやり方を“工夫”することで、“表現力を鍛えていく”

その工夫を、“使える英語”を身に付けるための具体的な“過程”に出来たらと思います。

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